2015年5月20日水曜日

モーシン・アリ・カーン公演 vol .10「インド声楽の巨匠死す」

モーシン・アリ・カーン公演
vol .10「インド声楽の巨匠死す」

インド声楽のキラナ流派の中興の祖でもあるウスタッド・アブドゥール・カリム・カーンのレコードを聴き衝撃を受けた少年が、伝統音楽の歌手になる事を夢見て11歳で家出し、数年間に及ぶ師匠探しの旅が終わり、、

1936年からパンディット・サワイ・ガンダルバさんに正式に弟子入りを許され、師匠の家に住み込みじっくり音楽を学ぶことになります。

このパンディット・サワイ・ガンダルバさんは、ビンセン・ジョーシー少年が憧れたウスタッド・アブドゥール・カーンの一番弟子でした。

彼もまた、 ツアーで自分の住む町に公演にやって来たウスタッド・アブドゥール・カリム・カーンの歌に衝撃を受け、公演があるごとに追いかけ回し、よく滞在していた自分の父親の上司の家に忍び込み、窓の外からアブドゥール・カリム・カーンに聴こえるように歌を歌い続け、それを聴いて、弟子入りを許されました。

ちなみに、そのキラナ流派の中興の祖ウスタッド・アブドゥール・カリム・カーンは、ビンセン・ジョーシー少年が一番弟子のパンディット・サワイ・ガンダルバさんに弟子入りした欲年に亡くなっています。



16年の年月は過ぎ、、、

ここからは、パンデット・ビンセン・ジョーシー師匠の兄弟弟子の言葉から、、

「1952年、師匠であるパンディット・サワイ・ガンダルバの肖像の公開式典がプネーという町であり、式典に合わせて企画されたコンサートで、師匠の弟子達をはじめ色々な歌手がステージに立つことになり、その時に、初めて、私は兄弟子のビンセン・ジョーシーと会いました。

ビンセン・ジョーシーがコンサートの最後に歌ったのだが、その声の素晴らしさに、演奏が終わっても、出演者、客席全員が感動のあまり動けなくなりました。

実は、私は弟子入りしてから12年、師匠はすでに高齢で歌うことができなかったから、師匠の歌を聴いたことがありませんでしたが、、、、

私は、ステージ上のビンセン・ジョーシーの歌を聴きながら、涙が溢れて止まりませんでした。あの経験はは死ぬまで忘れることはないでしょう。。

そして、その同じ年に、私たちの師匠パンディット・サワイ・ガンダルバは亡くなりました。」




子供の頃から歌手になることを夢見て、数年にも及ぶ師匠探しの他に、ここには書ききれない程の数々の伝説がある豪快に生きたパンデット・ビンセン・ジョーシー師匠、、

2011年1月24日に、この世を去ります。



キラナ流派中興の祖ウスタッド・アブドゥール・カリム・カーン、その彼に憧れたパンデット・ビンセン・ジョーシ等々、数多くの優れた声楽家の努力で、古くからの伝統に新しい改革、解釈を加え、現代のインド音楽の礎を作りあげました。


6月に来日するモーシン・アリ・カーンは、その流れの中の最も若い世代として活躍しています。

そして偶然にも、パンデット・ビンセン・ジョーシー師匠が亡くなった2011年、キラナ流派中興の祖ウスタッド・アブドゥール・カーンを称え、才能のある将来有望な音楽家に与えられる「ウスタッド・アブドゥール・カーン賞」をモーシン・アリ・カーンは授与されています。

モーシン・アリ・カーン公演詳細
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2015年5月11日月曜日

モーシン・アリ・カーン公演 vol .9「師匠さがしの巨匠」

モーシン・アリ・カーン公演
vol .9「師匠さがしの巨匠」

10代のビーンセン・ジョーシー少年、、、今度はデリーに、、

と、、参考にしているドキュメントでは本人が語っているが、、、

実際には、プネー ガウラー、デリー、コルカタ、ラクナウ、ランプール等々、
約3年間、父親に見つかり家に連れ戻されたりしながら、師匠探しの放浪、、、

どうも、幼い頃から道行きの芸人や音楽が聴こえる人だかりに付いて行っては行方不明になり、いつも両親は、どこかしこに寝てしまっているビーンセン・ジョーシー少年を探しまわっていたようです。ついには「○○の息子」とビーンセン・ジョーシー少年のシャツに書い、よく町の人に連れて帰ってもらってた様です。

で、、本人談のつづき、、

デリーに着いて、ナシルディンという有名な歌手とその家族に会いますが、全然お金もなく、弟子にもなれず、、で、また移動、、

今度は、デリーからさらに北のジャランダールという町へ行き、盲目の歌手バキット・マンガトラムに会います。

そこではドゥルパドという形式の音楽を学んだりしてた所、このジャランダールという町で、インド中から有名なミュージシャンが出演する古くかの音楽フェスがあり、なぜか、そのステージでタンブーラという通奏音を弾く伴奏楽器を弾くことに、、、、

出演していたミュージシャンからは、子供が渋い伝統音楽のステージに紛れ込んでるのを不思議がられてか、、「なんで、ここにいんの??」などと聞かれ、、

ビーンセン・ジョーシー少年は「音楽を勉強したい!!!」と熱く訴えたようです。

それで、出演者の有名なミュージシャンから、「サワイ・ガンダルバという良い歌手がいるよ」と教えてもらい、よくよく話を聞くと、どうも自分が歌手になりたいと決心させたアブデゥール・カリム・カーンの弟子だという事が分かり、、、

またもや、さっそく、いてもたってもいられず、今度は、そのサワイ・ガンダルバさんに会いに、、、

そして、とうとう、、やっと、、11歳で家出してから、数年間の師匠探しが終わり、、

このサワイ・ガンダルバさんに正式に弟子入りして、じっくり音楽を学ぶことになります。

つづく、、

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2015年5月4日月曜日

モーシン・アリ・カーン公演 vol .8「30年後、言ってやったぜ!な巨匠」

モーシン・アリ・カーン公演
vol .8「30年後、言ってやったぜ!な巨匠」

前回からのつづき

現代のキラナ流派の巨匠となるビーンセン・ジョーシー少年、、、

コルカタに移動し、パハリ・サニヤルという俳優に会ったものの、
以前のように、お金持ちが学生に昼食を援助している訳でもなく、師匠の家でご飯を食べさせてもらう訳でもなく、
お金もないので、仕事を探すはめになります。

そこで、ちょうどパハリ・サニヤルの依頼もあって、彼の家の召使いになってしまいました。

ビーンセン・ジョーシー師匠曰く

「召使いになれば、彼の家にも住めるし、映画様の歌のリハーサルも聴けるから良かった」

と言ってますが、、、

それから、30年後、、、、

偉大な音楽家になったビーンセン・ジョーシー師匠曰く、、

「召使いとしてパハリ・サニヤルの家で働いていた時は、”ビーンセン・ジョーシー”とは呼ばず、”ジョーシー”と呼ばれていた。

しかし、30年後、彼がワシのコンサートに来たので言ってやったよ。

昔から地球は丸いのと同じく、このジョーシーも、あの時と同じだって、」

では、

その30年間、、巨匠と呼ばれるようになるまでの30年間、どういう風に生きていったのか。。。

ビーンセン・ジョーシー少年、、、コルカタに写り、召使いとして働いていたころ、、、

とある知り合いが、デリーに良い先生がいるらしいよという助言、、、

またしても、ビーンセン・ジョーシー少年、いても経ってもいられずコルカタを後にデリーに向かいます。。

この時、まだ13歳

怒濤の人生は、、、、つづく、、

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2015年5月3日日曜日

モーシン・アリ・カーン公演 vol .7「やっぱり怒濤の人生に突き進んでいきます」

モーシン・アリ・カーン公演
vol .7「やっぱり怒濤の人生に突き進んでいきます」

前回からのつづき

現代のキラナ流派の巨匠とまでになるビーンセン・ジョーシー少年、、、

家を飛び出し、路上や列車の車内の投げ銭演奏で食いつなぎ、やっとグォリアという町にたどり着き、やっと優れた音楽家に習うことができたのに、そこを1年半で離れてしまいます。

なぜか????と訊くと、、

「先生は、有名な音楽家で、コンサートなどで忙しく、ほとんど町にも帰ってこず、レッスンがどんどん減っていったから、、」

と、ビーンセン・ジョーシー師匠、、

さらに、

「とある人が、コルカタに行けば、もっと沢山、優れた音楽家がいるよ」

と、助言、、、

で、、

「コルカタの方が雰囲気も良いしなぁ、、、もっと学べるかもなぁ」

と思ってしまったが吉日、、、

ビーンセン・ジョーシー少年、さっそくコルカタに向かい、パハリ・サニヤルという俳優の家に住み込みます。

で、、、

やっぱり、
そこから、
さらに、

ビーンセン・ジョーシー師匠、、、、

波瀾万丈な怒濤の人生に突き進んでいきます。

つづく、
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2015年5月2日土曜日

モーシン・アリ・カーン公演 vol .6「豪快な巨匠」

モーシン・アリ・カーン公演
vol .6「豪快な巨匠」


前回のキラナ流派、「ウスタッド・アブドゥール・カリム・カーン」からの流れ、、、

現代のキラナ流派の巨匠「ビーンセン・ジョーシー師匠」のドキュメントから、、

普通、伝統芸能などというと、家元制で子供の頃から英才教育で、大きくなると家元を継いで、エスカレーター式に出世していくみたいなイメージがあるが、、、

このビーンセン・ジョーシー師匠、、全然、違います。

師匠は、、、

11歳の時、「ウスタッド・アブドゥール・カリム・カーン」のレコードを聴いて、衝撃がはしり瞬間的に「僕も、こんな歌手になる!!」と自分の人生を決めてしまったようです。

しかし、彼の住む町には、初歩的な音楽を教えてくれる先生はいたが、匠とよばれるほどの歌手は住んでいなかったそうです。

グォリアといういう町に、すごい歌手がいるというのを聞いて、いても経ってもいられなくなったビーンセン少年は、家族に適当な言い訳を言い、家出同然でグォリア向かう事にしたのですが、、、

当然、少年には、お金もなく、無銭乗車での列車の旅。。。。

その地域の人達は音楽好きだと聞いていたので、レコードで聞いた曲を歌い、それで幾らかのお金をもらい、1〜2ヶ月かけてグォリアという町に到着したようです。

「もし、音楽好きな人がいなかったら、刑務所に入れられてたよ。ワッハッハ」と本人談。。。。

で、

グォリアには1年半の間、マハラジャの運営するMadhava音楽学校に入学しました。その学校は、サロード奏者で有名なアムジャット・アリ・カーンのお父さんハフィズ・アリ・カーンも協力していたので、ハフィズ・アリ・カーン師匠からも学んだようです。

昼食は、お金持ちが音楽を学ぶ者に与えていた1食を、夜はハフィズ・アリ・カーン師匠の家で夕食を頂き、、、

レッスンはというと、手取り足取り教えてもらうというより、ハフィズ・アリ・カーン師匠の練習をずっと聴くいう感じのようでした。

しかし、1年半後、、

ビーンセン・ジョーシー少年は、ハフィズ・アリ・カーン師匠の元を離れることになります。

つづく






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モーシンさんプロフィール映像


2015年5月1日金曜日

モーシン・アリ・カーン公演 vol .5「流派ってあります」

モーシン・アリ・カーン公演
vol .5「流派ってあります」
6月に来日するインドボーカリストのモーシンさん、、

インド音楽の中に、ドゥルパッドやカヤールという幾つかの形式があると前回書いてみたけれど、また、その中に「流派」なるものがあります。

「流派」なるものが生まれるのは、大体、時代の寵児になる様な天才が現れ、その後、3代目とか4代目とか、その革新的な技術や伝統の解釈を押し進めていくと、その天才の名前や地域名をとって○○流派と呼ばれるようです。

ちなみに、伝統の視点からみれば勝手な事ばかりしている僕が属しているのは、19~20世紀に活躍したイムダッド・カーンの名前をとったイムダッド流派、もしくは、イムダッド・カーンが住んでいた土地の名前をとったエタワ流派とか呼ばれています。

流派は、技術や音楽の解釈など師匠から弟子に伝承されますが、各時代、各演奏家は、それを土台に、また自らの技術や解釈を付け加えクリエイトしていきます。

中世は、この流派の縛りがきつく、別の流派をこっそり聴きに行こうものなら、破門みたいな側面もあった様ですが、現代は、それほど、流派の縛りはありません。

が、、ほぼ全ての演奏家が、自分は○○流派と名乗ります。

正直、ボーカルの流派までは全然知らないのですが、まぁ、調べてみた。

で、

カヤール形式のボーカリストであるモーシンさんの流派は、「キラナ」といいます。
とても有名な流派で、その流派を名乗る人も沢山います。

この流派、13世紀くらいから始まるが、19世紀に活躍したウスタッド・アブドゥール・カリム・カーン(写真)という人が、それまでの古いスタイルに新たな改革をして、飛躍的にキラナ流派を発展させ、現代に繋がる技術や形式の土台を作りました。

どう改革して飛躍させたかというと、、

とてつもなくゆっくりなテンポの「エクタール・ヴィランビット」っていうんですが、太鼓(タブラ)との合奏形式を作って、ゆっくりしたメロディからエモーショナルで早いメロディまで、ものすごくダイナミックに表現できるようにしました。

それまでのドゥルパッドの様な形式では、、、メインのメロディ奏者が、さんざんソロで歌ったりして、最後にちょっと、普通にミドルテンポから太鼓と一緒に合奏という感じでした。

現在は、「エクタール・ヴィランビット」、どの流派も演奏します。(ドゥルパッドの演奏家はしませんが)

それから、、

北インドのミュージシャンでは、初めて南インドの音楽をしっかり学んだ人で、その影響から、、

「サレガマパダニサ」っていうインドの「ドレミファソラシド」音名があるんですが、、

そのサレガマ〜の音名を歌う「サレガマ歌唱法」を編み出しました。

この「サレガマ歌唱法」、、、「アァァァァアァ」みたいなコブシ回しとは違い、ちょっとシタールとかの器楽の様なシャープでリズミカルな感じがでるので、テクニカルな装飾に使われたりします。

これも、今や、どの流派もやります。古典音楽以外の大衆音楽でもやると思います。

それから、

「テゥムリ」という甘いラブソングを歌う形式があるんですが、その「テゥムリ」にも、いろいろ工夫をこらして、複雑な恋心や心情を表現できるようにしたらしいです。

伝統というと、何百年も同じ事をしている様に思われがちですが、実際には、各時代に天才的な人が生まれ、新たに改革し、その時代を背負い、また、次の時代には、天才的な人が生まれ、、というのは続いていきます。

R&R R&B Rock Jazz Pops、、、そういった音楽が、1本のギターでブルースを歌う流浪芸人から生まれたり、近代、現代西洋音楽にしても、アジアやアフリカ、ジプシー、土着民謡などから膨大な引用があったりとかしながら、発展するのと同じです。


ウスタッド・アブドゥール・カリム・カーン
https://www.youtube.com/watch?v=l5Gje0EyBO4
https://www.youtube.com/watch?v=M2o4LwjW_Pg




つづく

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モーシンさんプロフィール映像